今年もこうして初日を撮り、塩イクラを補正する

2019年が始まった。
大晦日は紅白もそこそこに、初日の出に行くために早く寝てしまった。(子供が嵐の出番を待ちきれず…とも言う)

幼馴染と初日の出を見に行くようになって久しい。スマホの写真を辿ると、2011年ごろが最古。

はじめは二人きりだったのが、小さいのが1人増え、2人増え、今日は5人でてくてくと詣でた。

波と戯れる人、初日を撮る人、それを笑って見てる人…。会話はそれほど交わさなくても、なんだかいい空気感なのだ。

家に帰ったら、解いた塩イクラを白飯といただく…前に撮る。
恍惚として赤と橙と黄の美しい輝きを宝石のように丁寧に補正する(ただの自己満足だ)。

子供らが大きくなっても初日の出詣に行くのかな。あと何年この恒例行事が続くか分からないけど、来年もきっとこうして初日を撮り、塩イクラを補正し、過ぎゆく時間を眺めるのだろう。


来年はぜひ、自分で塩イクラを仕込みたい。

朝活は誰でもできる、多分。

言わずもがな、小学生の朝は早い。

学区の端っこから片道40分かけて通うとなると、遅くとも6:30には起きなければならない。

ここ1ヶ月くらい、子供を送り出してから自分も家を出るようにしてみた。
ちょうど朝の渋滞のため、こちらも40分くらいかかる。それでも仕事開始時刻までは1時間くらいあるので、車の中でコンビニで買ったコーヒー飲みながらネット巡回したり、ラジオに突っ込み入れてみたり、本を読んだりしている。

自動車社会に生きていると、運転者は移動時間に本を読むということができない。そういう点、電車通勤のころは本を読む時間が少しでも(半ば強制的に)取れてよかったと思う。

ふと思うと、これって朝活とか呼ばれる行動なのかもと昨晩気がついた。

キュッと冷えた空気の中を(子供と)歩いて、綺麗な空を見て、雲の写真撮って、本を読んで…。ふた昔前の自分には全く考えもつかない行動だ。なんせ8時過ぎまでぐっすり二度寝してた人だから。

「○活」って言葉はあまり好きではないけど、これは「ちびっこドリブンの朝活」だな、と。

それはよい。こうやってサクッとブログもかけるのだから。

朝活は誰でもできる、多分。ただし環境が揃えば(笑)。

秋の夜長に、母と弁当を巡るどうでもいいエトセトラ

今月は子供の校外学習だ、参観会の代休だ、と弁当の日が多い(と言っても3日間なのだが…)。

学区の端から通う朝は早い。限られた時間の中で弁当を作るにあたっての三箇条を書き連ねてみよう思う。

1. 三色は死守せよ

高校生の時は毎日が弁当持ちであった。今考えると、3年間もよく母は作ったなぁと感心もする。

給食の調理師という彼女の仕事柄、娘の弁当ひとつ作ることなど赤子の手をひねるも同然だっただろう。そんな母が言っていたことを今でも覚えている。

「三色揃ってれば美味しそうに見えるの。」

思い返せばブロッコリー、プチトマト、玉子焼の三品がよく入っていたっけ。

当時は「へー、そうですか」とぐらいにしか思っていなかったが、デザイナーという職業に就き、色彩や心理学をかじるとそれが理にかなっているのだと知った。

それは我が子の弁当にもしっかりと受け継がれている。玉子焼は最低限作る。プチトマトも入れる。緑ものは何とかして…。

ということで、第一条は「三色は死守せよ」。

2. 冷凍食品は上手く利用せよ

手作り弁当…なんと甘美で温かい言葉。前の晩から仕込み、朝早く起き白い割烹着を着て手の込んだおかずを作る。

目を覚ますのだ、自分。現実は平均して25分くらいで作らなければならない。甘美で温かい言葉とは程遠い幻想…。

そんな時短が原則の現代の弁当作り、冷凍食品はいつでもオールオブ“ものぐさおかん”の大いなる味方である。

主菜から添え物まで、冷凍食品が入らない日はない(多くのご家庭でもきっとそうに違いない…)。唐揚げ、グラタン、野菜のソテー。最近ではレンジで解凍せずに、そのまま詰められるものもある。

最近よく使うようになったのは「冷凍ブロッコリー」だ。茹でてカットしてあるやつ。緑ものが少ない冬場には、三色死守に必須な食材だ。

袋の指示には「ラップしてレンジで解凍してね」とある。しかし、ひとつやふたつそこらを“チン”するのは時間の見極めが難しいのだ。水気が飛びすぎたり、焦げてしまったりなんてのは常。

ある時、マグカップが目に入って気がついた。あー、これに湯を入れて溶かせばいいと。それ以来、冷凍ブロッコリーの出番が増えたのは言うまでもない。

第二条、「冷凍食品は上手く利用せよ」。

3. 味付けは調味料だけにあらず

ものぐさ玉子焼のことは前に書いた。相変わらずおかずのセンターポジションにいる。

玉子焼の味付けは塩か砂糖か白だしが定番と思われるが、我が母の定番は乾燥わかめだった。黄色と緑のコントラストもさることながら、わかめの塩分が程よく旨味を醸し出す。

これにならって、地場名産釜揚げしらすやら、塩昆布やら、ゆかりやら、思いつくものを放り込んでみた。

「昆布のまた作って❤︎」
ふむふむ、我が子は塩昆布がお気に召したようだ。また作って❤︎と言わず、毎回作って差しあげるぞ、子よ。なにしろ母はものぐさである。

となれば、品質向上に努めなければならない。実は一般的な塩昆布は卵と混ぜて調理するには少々長く、芽ひじきのような細かい昆布の発掘が急がれた。

スーパーの乾物商品棚を眺め、見つけた「きざみフジッコ」。

ふりかけ用とあって昆布は程よく細かく、ゴマも入っている優れものである(私にはそう思える)。求めていたのはこれ!心の中でだけ小躍りしてレジに向かったのは言うまでもなく。

(いま改めて商品紹介をウェブで見ていたら、フジッコサイトで塩昆布玉子焼が紹介されていた。)

第三条、「味付けは調味料だけにあらず」。

さてとまあつらつらと書いてはみたが、この三箇条はさして目新しいことではないことは知っている…のであるが、なんだか書かずには居れなかった。

なんでだろうな。大病してから料理する回数も減った母を見ていたら、秋の夜長にふと書きたくなったのだ。

さぁ、来週もまた初っ端から弁当だ。冷蔵庫の中を確認しておかなくては。

ハッセルを修理に出した

Hasselbead を修理に出した。

きっかけは8月。風鈴を仲間と撮りに行ったとき、シャッターが切れなくなったのを認めたからだ。

シャッターボタンを押してもミラーが跳ね上がらない。レンズとボディは連動できていることを確認したので、原因はボディ側だと容易に分かった。

パリでの結婚式に持って行きたくて買った、それこそ思い出の詰まった Hasselbrad である。このまま文鎮にしておくわけにもいかず、地元のカメラ屋に持ち込んだ。

そして約2週間後。
修理を終えて戻ってきた Hasselbrad は、なんだか淡い光を纏っているようにも見えた。ほんのちょっと旅で少し大人になった我が子が、よそ行きの顔で帰ってきたかのような光。

「修理屋さんが、『砂だらけでジャリジャリで!この人砂漠でも行ったんですか?!』って言ってましたよ。」

カメラ屋の主人は、半分苦笑いうような顔をしてこう言った。

ああ、やっぱり原因は砂であったか。
砂漠ではないが荒れ模様の砂浜に持って行った記憶がはっきりとある。その時はレンズのヘリコイドに砂が入ってしまい、やっちまったなぁ…とぐらいにしか思っていなかったが。

とにもかくにも、痛い出費ではあったが相棒はボディもレンズも綺麗になって戻ってきた。ごめん、これからはもっと大事にするよ。

今年、カメラを修理に出すのは二度目。
自分もあーだこーだと人生のメンテをする年回りとなったのは、奇遇であろうか。

写真:砂つぶさえ映る強風の浜辺
Hasselbrad を砂浜に持ち出した日の写真。
そりゃ、砂つぶだって写るんだもの。カメラだって壊れるさ。