A11y で芽吹き、TEDx で育った興味はどこに行くのか

「♪今年の汚れ、今年のうちに」…じゃないけど、今年の気持ちは今年のうちに書いておきたかったので、今年最後のエントリー。

今年のこと

今年の大きな変化はふたつ。
ひとつは縁あって働き方をフルリモート正社員という立場に移したこと、もうひとつは子供が就学したこと。

小学1年生と言っても、まだまだサポートは必要なので(特に勉強が)、フリーランスと正社員の中間のような働き方はマッチしている。

そのことは来年のどこかで話すと思うので、ここでは割愛。

ほかには9月末の台風での大停電。
2日間に渡って電気のない生活をした。停電になったらすぐ水を貯める(トイレ排水用)、塩を被った車をすぐ洗う。ふたつ覚えた。

前置きはそのくらいにしておいて。
今年新しく始めたことについて書いてみる。

コミュニティってなんだ?

何年か前にも書いたけど、私がウェブアクセシビリティに目覚めた原体験は、(おそらく誰もが名前を知っている)某歌手のサイトマスターをしていたときのこと。

「このホームページは代替テキストが設定されてて使いやすい」

スクリーンリーダーを利用していると思しきユーザーからの声だった。

それからというもの、ビジュアルデザインは少し苦手だけど、マークアップはよりアクセシブルにという一念でここまできた。(最近は複雑化してきて付いていけないとこもあるけど)

顔の見えない画面の向こうの人々を考えてマークアップするということは、次第に世の中をより良くしたい、という気持ちへと変わっていった。

そして2016年、「Idea Worth Spreading」という言葉に惹かれ、TEDxHamamatsu という TED からライセンスを取得して活動するコミュニティの一員(ボランティアスタッフ)となった。

地元に所縁のある人々(スピーカー)の“アイデア”を世界へ発信する1年に一度のカンファレンスはじめ、活動の広報全般を担当している。

イベントの知名度が上がるにつれ、日本人以外のスタッフや参加者、スピーカーの参加も増えてきた。

静岡西部というと“ブラジル人労働者”というイメージがひとつとしてある。製造業の現場で働いている人々もまだ多くいるが、なかには独立開業したり、地域に根ざした活動をしたりしている方もいる。

そして、近年ではベトナムやフィリピンなどのアジア圏から来日した留学生や生活者も増えている。

そのような背景を持つ人々がスタッフとして参加するようになり、なかなかうまくコミュニケーションが取れないでいるなか、「コミュニティってなんだ?」という関心が湧く。

地域に確かにいるのだが姿の見えない「生活者としての外国人」。単に自分の労働、生活環境が彼らと被っていないだけなのだが、「日本人だけの中にいること」ということに危機感を覚えた。

それが昨年までの話。

簡単なように見えて実は難しいこと

今年の夏前、市の広報誌に「日本語ボランティア養成講座」という文字を見つける。地元の国際交流協会が主催する、日本語教室の補助者になりたい人のための講座だった。

迷わず思った。「これ行きたい」と。

数回の座学で「在日外国人の現状と背景」、「日本各地における共生の取り組み」などを学び、日本語教室で実際に自分らで立てたカリキュラムを実践する。

無料の日本語教室に来るのは、技術実習生や在留者が母国から呼び寄せた家族、日本人と結婚して来日した人など、出身も年齢も日本語習熟度もさまざま。

そこではやさしく、分かりやすくゆっくりと話すことが求められる。ただ、1回の授業をすべてをそのような調子でやり取りすることは難しいので、実習では簡単な英語で説明したり、Googleの翻訳や、マップ、検索結果の画像や地図を見せたりしてもみた。

それでもまだ完全に理解したとはいかなかった。母語で学習者にやさしく伝えるということは、簡単なように見えて実は難しいのだ。

先日、こんなブログ記事を読んだ。

「Plain English」と「やさしい日本語」

アクセシビリティの文脈で「Plain English」や「やさしい日本語」が語られることはこれまであまりなかったように思いますが、たとえそれがWebであったとして、マークアップをどれだけアクセシブルにしたところで、またWeb以外のあらゆるコミュニケーションにおいても、どれだけ情報が提供されても、文章や言葉そのものに壁があれば、それは伝わらないわけですから、これはまさにアクセシビリティの問題であると考えます。

日本語教室の補助者という役割を通じて感じたのは、まさにこのことだった。

ウェブページについて言えば、技術的に頑張ってアクセシブルにしたとしても、そこに乗っかっている日本語が難しければ伝わらない(言い回しや二重否定など、自分も反省するところは多々ある)。

日本語教室で言えば、学習者にとって日常生活に馴染みがないトピックだったり、日本人が難しい言葉を早口で言ってしまうと、興味や学習の妨げになってしまう。(日本人同士で平易、ゆっくりのつもりでも、彼らには早く感じる)

そう、どちらも「アクセシビリティの問題」だ。そしていま、私はどちらのことも考えられる環境にある。

こらからどこへ行こうか

最近、あちこちで「アクセシビリティやってみた」という声を聞くようになった。それはとても喜ばしい。

個人的にはこれから制作者に求められるのは、より多くの人に寄り添えるものを作り出せる「共感力」ではないかと思っている。そして、ウェブアクセシビリティがきっかけで、世の中のことを考える人が1人でも増えるといいな、とも。

私自身の来年は、仕事では主に関わっている WordPress テーマにおけるアクセシビリティを深掘りしたいし、プライベートでは日本語教室の補助者として活動を始めたり、「伝える」ことをみんなで考える場を作りたいな、なんて思っている。

制作者が頑張って画面の中がどんどんアクセシブルになっていくとき、ふと振り向いたその実世界はアクセシブルなのか、そういうことを2019年(とその先も)は考えていきたい。

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最後まで長文をお読みくださりありがとうございました。あなたにとって、来年がよい年になりますように。

写真:浜辺に書いた2018

 

[Adventar] 「品質としてのHTML」という意識とウェブアクセシビリティ

このエントリーはWeb Accessibility Advent Calendar 2017 7日目の投稿です。

初日からちょうど一週間ということで、箸休め(的な)ポエムに少々お付き合いください。私から見えている世界の話を書いてみます。アドベントカレンダーの本題とは少々かけ離れた内容かもしれませんが、同じ線上のトピックということでご容赦ください。

限られた時間のそのなかでは…

今年は小さい集まりなどでウェブアクセシビリティ(以下、A11y)のことを話題にすることがありました。

まだまだデザインカンプを制作したうえでコーディングに着手することの多い、私から見えている世界。クライアントもIT・ウェブ慣れしていない方が多いため、その手法は現時点ではまだ致し方ないなと思っています。

“見た目駆動”+限られた時間でコーディング作業を進めていくなかで、A11yに取り組むには、マークアップに意欲的に取り組む方でも「対応する時間が…」「学習コストが高く感じる」「必要性がいまいち…」という思いがあるようです。

参入障壁の低いこの世界の片隅では…

マークアップに意欲的に取り組む方がいる一方で、参入障壁の低いウェブ界隈、制作者のスキルもさまざまです。

ちょっとくらいHTMLが間違っていてもブラウザが解釈してくれる場合もありますし、作り込まれた無料HTMLテンプレートもインターネット上にはたくさんあります。

また、CSSフレームワークのドキュメントに沿ったHTMLを記述したり、A11yに配慮された jQuery プラグインなどを利用したりすることで、制作者が意図していなくても、ある程度のA11yは担保されるようになってきています。(この記事を読んでくださる多くの方には、釈迦に説法だとは思いますが…。)

ともすると、文法的に正しいHTMLを知らずとも済んでしまう状況があるのも、また現実ではないでしょうか。

文法的に正しいHTMLとA11yは切っても切り離せない関係。「A11yって大事だよ」と説くより、「HTMLも品質のうちだよ」と説くことの方が先かな…と思うのです。少なくとも私から見えている世界では…。

ありがとう、ヘイドンさん

そんなことを考えているさなかに読み始めた、ヘイドン・ピカリング氏の「インクルーシブHTML+CSS & JavaScript 多様なユーザーニーズに応えるフロントエンドデザインパターン」。その冒頭にこんな一文があります。

本来、デザインの仕事とは、熟慮することです。そして、問題に対するベストな解決策を追求することです。それが「見た目の美しさ」という範囲だけでデザインをとらえることで、Webの大半は本来の意図から外れてしまっています。これは、低いアクセシビリティ、貧弱なパフォーマンス、そして全体的な有用性の低下につながります。

また、JSONから必要なデータを取り出す例を挙げ、このように続けます。

データの構造を考え、最適解を導き出すための試行錯誤をすることがデザインなのです。

このヘイドン氏の言葉を読んで、もやもやが晴れたことはいうまでもありません。「ウェブのデザインってやっぱりそういうことだよね、これまでの経験から学んできたことは間違ってなかったね…。」と心の中で小さく“ヨッシャ”しました。

コーディングする人だけじゃなくて、プロジェクトに関わる人すべてが、「HTMLも品質のうちである」と認識してくれるといいなぁ、などと思った2017年暮れでした。


来年は「良いウェブサイトとは?」「品質とは?」といったことを考える場を作ったり、インクルーシブ本(やピンク本)の布教活動など、引き続き地道な活動を続けていけたら…などと(またも)薄ぼんやり思っています。

明日8日目は kikeru_umenu さんの投稿です。よろしくお願いします。


余談:
静岡県がUDを推進していたり、文化政策学部のある大学があることから、それらに関連するUDシンポジウムや文化多様性研究の発表会に参加し、ウェブ以外でのアクセシビリティや、外国人居住者の多様性について視野が広がりました。たまにはこういうのもいいですね。

[AccFes] アクセシビリティについて、たとえば小さなフリーランサーができることは

5月18日、神戸市で開催されたアクセシビリティの祭典に参加をした。

5月の第3木曜日は世界的にアクセシビリティについて考える「Global Accessibility Awareness Day (GAAD)」。それに合わせて開催されたイベントである。

デジタル(Web、ソフトウェア、モバイルなど)のアクセシビリティとさまざまな障害のあるユーザーについて、みんなで話したり、考えたり、学んだりする機会を持つことです。(via: GAAD

当日はウェブに関わる方のセッションをはじめ、支援技術やデバイスの展示など、多くの人が会した。

イベントの雰囲気やセッションについては、公式サイトや Togetter を見ていただくとして、いち参加者として考えたことを書いてみようと思う。

※ この記事でのアクセシビリティとは、主にウェブアクセシビリティを指す。

大きなA11y、小さなA11y

A11yとは“Accessibility”の略である。そう、長い。
Aとyの間に11文字あるので、そう略されるようだ。

今回の祭典は、始発の新幹線で神戸に入り、朝イチから参加をした。
全体を通して感じたのは、チームやプロダクト、上流工程から関わる受託案件に話が寄っていたなということ。そこに集まるのはアクセシビリティを推進していたり、ウェブを作るうえでの重要事項として高い興味を持っている人たちなので、そうなることは必然的だ。

それはさておき、障害者差別解消法が施行されてから1年が経ち、いろいろなウェブサービス企業でのアクセシビリティの取り組みを聞くようになった。

企業がアクセシビリティに取り組むこと、それが社会的意義のあることだと認知され、チームでの取り組む姿勢や、プロダクトをアクセシブルにすることなど話題に欠かない。非常に素晴らしいことだと思う。

こういった流れを仮に「大きなA11y」としよう。反対に、予算や規模の小さい案件、それにおける下流工程、小さな現場での取り組みなどの流れを「小さなA11y」とする。

図:大きなA11y、小さなA11yのイメージ

私は「小さなA11y」に属するフリーランサーだ。コーディングのみの案件や、小さな商店のウェブサイトを主に制作している。仕事の大半が納期との戦いだったり、アクセシビリティ以前の問題(とりあえず作りたい、売上げを伸ばしたいなど)を抱えていることが多い。そしてほとんどの場合で、アクセシビリティは制作者の良心に任せられている。

そんな「小さなA11y」において、アクセシビリティに取り組む意義とはなにか、それがこの先、仕事にどう繋がっていくのかと考えていた。

とはいえ、参加が無意味だったかのかといえば、それは違う。
神戸市の取り組みはアクセシビリティ継続には組織性が大事だと教えてくれたし、初めて目にするユーザビリティテストは、新しい物の見方を提供してくれた。

エンタメ要素あり、ハイエンドな内容あり、違う価値観、アプローチを楽しく感じ取ることができた1日であったのだ。そして小さなフリーランサーとして何ができるか、あらためて考えた1日でもあった。

アクセシビリティに取り組みたい小さなフリーランサーに、なにができるか

では、私のような小さなフリーランサーにできることはなにか。
すでに実践しているものも含め、思いつくままにいくつか挙げてみる。

  • 自分ひとりでできること
    • 自分の技術の精度を上げる、磨く
    • アクセシビリティに取り組めるプロジェクトを自ら持つ
    • イベントに参加する、ブログに書く
  • 周りの人(制作者)とできること
    • 自分なりの啓蒙ツールを作る(精神の再翻訳)
    • パートナー先やローカルでの啓蒙活動(勉強会)
    • 勉強会でLTする
  • 第三者にできること
    • 中小の経営者層への相談窓口になってみる
    • 自治体の広報モニターをしてみる

実に地味である。
アクセシビリティはUXなどに比べて“キラキラ感”が足りない、効果が見えにくいといった話題も質疑応答セッションで挙がった。しかし、私の周囲においては、まだまだこの地味な活動が有効ではないかと思っている。

図:自分ひとりでできること、周りの人とできること、第三者にできることのイメージ

自分ひとりでできること

ひとりで勉強すること、そしてそれを実践する場を持つこと。
自分のブログでも、ボランティアのサイト運営でも、何でもいいと思う。

周りの人とできること

自分の周りの制作者の温度感に合わせて、アクセシビリティを再翻訳してみる。言い換えるなら、先に立ってアクセシビリティを推進している人たちの言葉を再構築してみる。

どうすれば身近な問題と捉えてもらえるか、どんな情報がインパクトを与えるか。素材にできるものは以前より増えている。それらを使って自分のツールを作ってみる。

それをもって勉強会を開いたり、自らLTをしてみる。

第三者にできること

どこの自治体にも広報誌というものがある。そして広報モニターというものもある。広報誌にとどまらず、ウェブサイトやラジオ番組などもモニターの範囲に含まれる。自分の住んでいる自治体の広報モニターになって小さな一石を投じてみる。

これはもう少し先の話かもしれないが、地域社会でアクセシビリティの機運が高まったら相談窓口になってみる。組織に属さないからこそ、自由な活動ができる。

とにかくローカルで声をあげ続けること。
「小さなA11y」を自分の周りから広げていく、小さなフリーランスの役割は“やはり”そこなのだなと考えている。

まとめ

アクセシビリティは公共性の高い問題だ。本当のところは“大きい”も“小さい”もない。そしていろいろな視点を通して語られる・語っていい問題だと思う。関わる人によって見える世界が違うように、考えるアクセシビリティもまた違うのだ。

そして、いきなり高尚なことをしたりする必要はないとも思う。GAAD のサイトにもこのように書かれている。

テクノロジーを障害のある人々に対してアクセシブルにしたり、その使い勝手を向上させたりすることに関心がある人でも、現実にはどのように何から着手すればよいかが分からないことが少なくありません。まずは、知ることから始めましょう。(via: GAAD

興味があるのなら、まずは知ることから始めよう。それこそがアクセシビリティへの第一歩である。そして、そんな人々の助けになるような制作者となれるよう、私は引き続き目指していきたい。


P.S. 1さまざまな価値観や意見に触れ、考えを深める場を作ってくださったアイ・コラボレーション神戸、およびインフォアクシアのみなさまに、あらためまして感謝申しあげます。来年はもう少し勉強して参加します。

P.S. 2 懇親会でアクセシビリティおじさんに「アクセシビリティかあさん」を公認いただいたので、今後は肩書きに加えようと思います。